Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

越路よう子のハレマメ奮闘記0625

やがて時は過ぎ、高校に進学すると青春の真っ只中

でサッカーと音楽、そして覚えたての恋などに夢中

になりマザーテレサとはかけ離れた生活に没頭しま

す。

 

ただ、頭の中ではマザーテレサのことを忘れたこと

は一度もなかったのだと思います。

私は大学に進学する際選んだ学部は文学部で、ドイ

ツ文学を専攻しました。ドイツが好きで、当時のド

イツサッカーが好きで、MSGなどのジャーマンメタ

ルが好きだったことも大きな原因でしたが、ドイツ

文学には「愛」というものを追求する哲学的な文学

が多かったことも大きな決め手となったのでした。

 

そして教師になって「愛」というものを若い子供た

ちに伝えたいと思ったのでした。

 

この当時私は教師になりたかったのです。

 

ただ、記憶力だけを試す大学受験の仕組みに疑問を

持った私は同級生が進学してゆくことを他人事のよ

うに傍目から眺め、考え事ばかりしていました。

そして高校卒業後は2年間フラフラアルバイトを過

ごす日々が続きました。いわゆるプータローというや

つです。

 

この期間、ろくに勉強はせず小林秀雄などの思想家の

本を読み漁ったり、落合信彦などのジャーナリズムの

世界に傾倒してゆきました。それと並行してボブ・デ

ィランやジョン・レノン、ブルース・スプリングステ

ィーンの描くメッセージソングにものめり込んでゆき

ました。彼らが描く社会問題への問題提起や叫び。そ

して熱い恋愛観や暮らしの中から生まれたブルース、

そして愛や戦争、平和についての歌詞とサウンドが私

の心を鷲掴みにしていたのでした。

 

この時期が人生の中で一番音楽を聴いた時期だったか

もしれません。

 

その後大学に進学すると、大好きだった音楽を再開し

ます。歌を作り、歌詞を書き、バンド活動を始めたの

です。マザーテレサが発信してくれた「愛」、そして

ジョン・レノンブルース・スプリングスティーン

歌う世界を模倣し、人前で歌を歌うようになりました。

 

それと同時に私はイギリス人のヒッピーの英語教師と

様々な社会活動に参加します。天安門広場での中国共

産党による弾圧に対する反対集会や、様々な社会問題

に対する署名活動などその数は数え切れないほどでし

た。ただ、その活動の結果何か良い結果を導き出した

ものは皆無で、ちょっとだけ虚しい思いをしたことも

覚えています。

 

私はそこにあまり意味を見出すことができず、やがて

自分の目で世界を周ろうと決意します。私はシルクロ

ードの旅に出ることを決めたのでした。今で言うバッ

クパッカーというやつです。

 

日本から韓国に渡り、船で天津に向かって、北京へ。

そしてウイグル自治区を目指す長い旅でした。そこで

中国共産党が発信する情報と現実の世界とのギャップ

を目の当たりにします。共産党が警告する危険エリア

に行けば行くほど平和だったのです。

 

中国には53民族もの民族が存在し、文化も歴史も習

慣も全然違ったのです。中国共産党は、中央政府の言

うことを聞かず、独立運動を展開しようとするエリア

を危険地帯とレッテルを貼り、多くの人を洗脳してい

たのです。ウイグル自治区では殺しが多発し、泥棒ば

かりで臓器の売り買いが激しいなどと言う人もいまし

たが、実際行ってみるとそこはとてつもなく平和で、

清潔で、優しい人が溢れる美しい街でした。北京や

上海の方がよっぽど危ない街だったと断言できます。

 

自分の中でのメディア信仰のようなものが崩れ落ちた

旅でもありました。

 

つづく、、、