Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

越路よう子のその後のハレマメ0711

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晴れ豆制作・阿波の遊行写真集

 

写真集が出る。

晴れたら空に豆まいて」の企画として、コロナ騒

動のずっと前から走りはじめていた企画が結実する。

総合プロデューサーは久保田麻琴さん。

 

はっぴいえんどのドラマーで、松田聖子さんの赤

いスイトピーの作詞など数多くの作品を残している

作詞家の松本隆さんから以下のような言葉を帯に使

わせていただいている。

 

祭りの踊りは神と触れ合う瞬間の花火。 舞う人、伝

える人、残す人、印画紙に焼き付けた人、 もうリス

ペクトしかない──松本 隆

 

言わずと知れた久保田麻琴さんと晴れ豆の関係は長

く、そして深い。私たちは敬愛を込めて麻琴(まこ

と)さんと呼ばせていただいている。

まぁ、私たちにとって無くてはならない存在なのだ。

 

このコロナ禍の直後から晴れ豆の事を気遣っていた

だき、すでに様々な配信番組を企画していただいた。

とりわけ細野晴臣さんやピーター・バラカンさんと

の企画は興味深かった。

 

70年代、細野さん率いる「はっぴいえんど」は東京

の音楽を確立した。その頃麻琴さんは裸のラリーズ

で日本人離れした感性で独特の世界観を表現してい

た。ちょっと怖い存在だったと細野さんは回想して

いた。その後は夕焼け楽団としてこれまた日本人離

れしたルーツミュージックで一世を風靡する。

 

バラカンさんはイギリスから日本へ渡り音楽に携わ

る仕事をしていた。そんな中、やがてバラカンさん

夕焼け楽団の存在を知りデビット・ボウイを麻琴

さんに紹介する。その後二人はツアーに出る。麻琴

さんはその後主に海外に活動の重心を置くようにな

る。そして多くの世界的ミュージシャンと交流をす

る。その当時、そんな日本人はほとんどいなかった

だろう。デビットボウイやクラプトンなどと交友が

ある事を清志郎さんは驚いていた。

 

それくらい麻琴さんは日本の音楽界で異色の存在だ

ったのだろうな。カッティングエッジというべきか

、、、

そして80年代、細野さんはY.M.O.で世界のトップミ

ュージシャンへと昇り詰める。

 

その後麻琴さんは表立って歌う事をやめ、プロデュ

ーサーとして活躍の場を移す。

 

とにかく、細野さんも麻琴さんも圧倒的なセンスを

持っている。時代の先端をずっと走り続けている。

 

お二人の姿を見るたびに思うが、いつも新鮮でノス

タルジックなものを感じたことがない。

未だに新しいもの、いや本質的なものを探している

ようにお見受けするのだ。

 

本質的なもの。

 

それは、私たちが探し求めるべきルーツそのものな

のかもしれない。

 

私たちが一体どこから来たのか?

私たちは一体何者なのか?

私たちはどこへ向かうべきなのか?

 

そんなことが「本質」を探す行為の果てに確かめら

れる気がするのだ。

 

 

この度、写真集が出る。

 

本質を探し続けた檜瑛司という舞踊家が残した音源

と写真を、麻琴さんが蘇らせた。

ここにも日本人の、祭りの、生き方の本質があるよ

うな気がしてならない。

 

ぜひお手にとってお楽しみいただきたい。

 

以下は、松本隆さんのTweet

https://twitter.com/takashi_mtmt/status/1281594174500823041/photo/1

 

 

そして、久保田麻琴さんの写真集へのコメント。

家元の家系から来た舞踊家、檜瑛司は ある時、徳島

に民謡がないのかという素朴な疑問を持つ。 録音機

とカメラを携え調査を始めたのが 1960 年代中期。

徳島、四国の集落のリサーチを始めると、そのあま

り豊穣さに心奪われ、 生涯を調査研究に費やすこと

になる。ここにある驚異的な記録を 皆様と共有する

恩恵に与らせていただこうと思う。 感謝。 

久保田麻琴(本書監修)

 

 

アッ、今日麻琴さんの誕生日だ!

おめでとうございます麻琴さん★

 

Happy Birthday!!

 

 

世界は美しい。