Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

越路よう子のハレマメ奮闘記0627

この時もパニック状態に陥りましたが、やはりそこ

には様々な憶測が飛び交いました。天災である地震

でさえ陰謀かと疑われ、その地震によるとてつもな

い被害や悲劇に揺さぶれた直後原発が水蒸気爆発を

起こします。

 

私たちの国は、長崎、広島に続き福島で三度目の被

曝を体験することになりました。

 

その時私たちの行動は3つに分かれました。原発

ら少しでも遠くへ逃げる人、いろいろな事情があり

その場にとどまる人、そして現地へ救助応援へ向か

う人。そのどれもが正しい行動でした。人それぞれ

条件や信条が違う上、人類が経験したことのない事

故が起きたのですから。

 

その当時わたしは離婚していました。幸い二人の子

供は元妻の実家である九州にいたので、子供達に危

険が及ぶことはありませんでした。その頃父をガン

で失い、実家の家族は海外へ住んでいたのでわたし

はまさに独り身でした。義理の父は自殺で他界し、

親戚縁者のほとんどはすでに亡くなっていました。

その上散々自分勝手な生き方をしてきたわたしは、

この時すでに失うものなどありませんでした。

 

罪滅ぼしのような気持ちも加わり、原発が爆発し

た直後わたしはモーキ(晴豆の主任音響エンジニ

アで友人)と福島の相馬神社に入りました。

越路姉妹で開催した緊急ライヴで急遽集めた救援

物資をトラックにパンパンに詰め込んで、ライヴ

後の深夜、東北道をひた走り福島に向かいました。

東北道には見たことのないウルトラ警備隊のよう

な不思議な車がたくさん走っていました。その他

自衛隊の車や戦車なども走っていました。

この間一般的な車はほとんど見かけませんでした。

道もひび割れたり陥没している中、特殊車両に囲

まれて進む東北道は異常な光景でした。

 

そして、高速を降り飯館村を通過するときには朝

方になっていました。川面がキラキラと光に揺れ、

水鳥たちは何事もなかったように水面に佇んでい

ました。その光景は、そのとき起こっている恐ろ

しい状況とのギャップで、とてつもなく美しい天

国のような光景でした。それは今でもはっきりと

胸に焼き付いています。

 

そして南相馬にある相馬神社に着くと、そこには

多くの救援物資が集められていました。その物資

の仕分けや運搬を手伝いながら南相馬の街を走ら

せるのですが、どこもかしこも津波の傷跡が深く

残っており目を覆いたくなるような光景をたくさ

ん見ることとなりました。

 

まさにそれは地獄でした。

 

翌日東京へ戻り、その後福島や石巻などの街に向

かいいろいろなお手伝いをさせていただきました

が、半年後にはわたし自身の精神状態がおかしく

なり夜中に急に叫び声をあげたり、足をばたつか

せて号泣したり、過度の酒を暴飲したりと、今考

えると軽いノイローゼのような状態に陥っていた

のだと思います。

 

この頃を振り返ると、地震津波で大騒ぎになり、

その後問題は原発の問題に変わってゆき、セシウ

ムやらなんやらと覚えたての専門用語に振り回さ

れ、やがて問題は東電や政府の責任問題へ。そし

原発反対か推進かの政治論争へ変容してゆきま

す。この過程の中で、原発の是非はともかくとし

て今まで隠されてきた様々な問題が露呈するよう

になります。

 

それぞれの考え方があるので一概には言えないの

ですが、わたしはどうしてもデモ行進や、反対運

動に参加する気持ちになれず自分がどう行動する

べきかを考えていました。

 

正しいか間違いかということではなく、何かに反

対するというエネルギーがわたしにとってはポジ

ティヴなエネルギーではなくもっと違った役割が

わたしにはあるのではないか?と思うようになっ

たからです。

 

それからわたしはラブソングしか書かなくなりま

した。誰かを愛しく思う気持ちだけを書き続けた

いと思うようになったのです。

 

 

原発問題の奥にある利権の問題、911の裏で露

呈された悪魔的存在、人間の生と死、宇宙の構図、

哲学、宗教、量子力学などの物理学、宇宙幾何学

などが頭をぐるぐるシェイクする中、最終的な心

の拠り所は神話の世界にあるのではないかと思う

ようになりました。

 

つづく、、、、、