ついこの前、映画監督の長岡参(ナガオカマイル)くんに漆芸修復師 清川 廣樹さんを紹介してもらった。マイルくんが清川さんのドキュメントを撮影すると言う話から繋がったお話だ。清川 廣樹さんは金継ぎと呼ばれる伝統的な修復の技術をマスターした国宝級の職人。
※金継ぎ(きんつぎ)は、割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法で、金繕い(きんつくろい)とも言う。
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清川さんのお話しはどれもこれも興味深いものばかりだったが、今回はその金継ぎに欠かすことのできない漆の世界について綴ろうと思う。
漆の詐取の仕方は、漆の木に傷をつけその傷を治そうとして出てくる樹液を採取する。これは人間に例えると、体を切りつけられその傷を治すために血が流れ、血液中のリンパ液が傷口を固めるために流れ出てくることと同じなのだそうだ。そう例えられると、漆とはなんともありがたいもので貴重なものだということがわかる。
日本の採取の仕方と海外の採取の仕方には大きな違いがある。
海外の場合、2ヶ月間漆の木を傷つけ、再生するとまた翌年同じように傷を入れ、それを永遠と続けてゆく。これを養生掻きと呼ぶ。
それに比べ日本の場合は、4ヶ月近くの月日をかけ一気にひとしずくも残さず全て絞りとる、殺し掻きと呼ばれる方法をとる。つまり、全ての樹液を搾り取り最後は伐採し、切り倒す。それが殺し掻きというわけだ。
漆の木を産業の資材と考える養生掻きに比べ、漆の木を生き物として考える殺し掻きには考え方の違いがある。どちらが正しいかどうかなどということはあまり考えたくない。そんなことよりもその考え方の違いに興味が湧く。
殺し掻きというショッキングなネーミングの反面、殺して命をいただくという考え方から搾り取られた漆は貴重で、ありがたく大変大切に扱われる。(1本の木から採れる漆はわずか200cc)その上、一見殺されたかのように思う伐採後の切り株からは、新しい芽(ひこばえ)が出てより強い漆の木として再生するのだ。
養生掻きと呼ばれる手法は1本の木を永遠に傷つけ続けるので、その木は生命力を徐々に弱らせてゆく。長く保つことはできるがその木の生命力は弱々しく元気が無くなってゆく。
漆の木を育て、漆を採取できるようになるのは、10年もの歳月がかかるという。
その間には定期的な下草刈りやツル切り、肥料の散布、獣害への対策など、そ作業は大変だ。漆が採れるまでかなりの時間と苦労があるのだ。
その木をなるべく長く保たせ利用する養生掻きの考え方は一つの考え方だ。
ただ、殺し掻きの考え方の方がわたしは腑に落ちる。
効率や生産性だけではなく、その奥にある命の意味のようなものを感じるからだ。
神や命への畏怖と言うべきか、、、、、。
これからの時代、こうした先人の知恵を私たち日本人は見つめ直す時が来たのかもしれない。
そんなことを清川さんとのお話の中で気付き、教えていただいた気がした。
心の時代。
越路よう子