Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

子供の命

大阪府高槻市の小学校で男の子の小学生が死んだ。

 

体育の授業で持久走があり、マスクを着用したまま走ったという。

 

持久走終了間際に倒れて保健室に運ばれた。

 

その後状態は悪化し病院へ緊急搬送された。

 

そしてその日の午後に亡くなった。

 

死因は特定できないとしている。

 

 

 

マスクに決まってんだろうが。

地球の上の狂騒曲 08

 

今日は世の中や社会についてではなく

自身のバンドについて思うことを綴る。

 

私は越路姉妹というバンドをやっている。

メンバー同士、普段はお互い何をやっているのか

よくわかっていない。プライベートで飲みに行ったり、

メールをしたり電話をしたりすることがものすごく少ない。

 

ライブがある時しか会っていないかもしれない(笑)

 

でも、会って音を出すとあっという間に私たちは

溶け合う。魔法をかけたように。

 

変なバンドだ。

 

 

そして私はこの時間が最も楽しい。

 

 

 

世界は美しい。

 

 

地球の上の狂騒曲 08

 

以前ブログに綴った「お話しの会」が今日始まる。

 

大阪は釜ヶ崎で出会った早苗ちゃんという友人の

取り組みを私なりにやってみるという試み。

早苗ちゃんは飲み屋の空き時間におっちゃんたち

の話を二人っきりで聞くという取り組みをしていた。

 

この混沌とした世の中では、自律神経の健全を保

つのは大変だ。ココロの問題は大きな問題になっ

ていく。もちろん私にもその問題は直接関わる。

とても他人事ではないのだ。

 

釜ヶ崎は日本3大ドヤ街の一つで、代官山はその

真逆にあるような街だ。

でも、ココロの中はどうだろうか?もしかしたら

表面をきれいに整え、感情や問題を押さえ込んで

いるだけで抱えている問題はどちらも変わらない

のかもしれない。

 

ココロの問題はこれから最も大切なテーマになっ

てゆく。

 

そんなわけで始めてみようと決心し、急遽ブログ

上で募集した。あまりにも急だったので、誰もこ

ないだろうな、、と思いつつそのブログをアップした。

 

その結果、何人かの方が連絡をくれたのだ。

 

私も初めてのことで、わからないことだらけだが

とにかく始めてみる。

 

その初日が今日というわけだ。

 

ココロの時代の小さな取り組み。

 

「お話しの会」が始まります★

地球の上の狂騒曲 07

医師会も分科会も、予想がこれだけハズレ続けている

のだからもう全員辞めるべきだ。

 

尾美茂はその風貌や語り口が柔らかいため、好々爺の

イメージがあるが、全く役に立っていない。

役に立っていないどころか、その外れまくる考えが政府

の政策決定の根拠になっているのだからたちが悪い。

 

8割おじさんの西浦博も不安を煽るだけで何一つ予想は

当たっていない。この人の考えや意見はもう取り上げて

はいけない。

 

この手の専門家は他にもたくさんいるが、全員OUT。

2年間外れまくったことを反省も検証もしない彼らの

態度はもうすでに科学者ではない。

 

挙げ句の果て、「ここが踏ん張りどころ」だとか「今週

が山場」だとか「心のゆるみが問題」だとか、いつしか

彼らの発する言葉は抽象的な掛け声に変わっていった。

 

 

もう辞めろ。

地球の上の狂騒曲 06

その昔、父がガンを患った時毎日病院に通った。

医者の言うことを聞き漏らさぬためにも

父を勇気付けるためにも私は診察にも毎度付き

合っていた。

 

その診察室で気づいたこと。

 

医者が父の目を見ないのだ。

見ているのはパソコンの画面。

 

そして触診をしない。

患者に触れないのだ。

触れているのはパソコンのマウス。

 

相当忙しい様は見ているだけでもわかった。

でも、その医者が醸し出す雰囲気は

患者に寄り添うものではなかった。

父が不安で質問する事柄についても

患者の目も見ずに、ちょっと面倒くさそうに

答えていた。

 

 

患者の状態っていうのは瞳にも映るし

皮膚の触感や温度にも現れるし

声色にも呼吸にも現れる。

人間の体から発信する情報量はものすごい

量がある。

 

そのため医者は直接患者の体に触れる触診や

たわいもない会話を通じて医者は患者の生活

習慣や状態を読み取る。つまりその病気との

因果関係を想像し、適切な処置をするという

こと。

 

いつしかこうした医者が減っていた。

 

病院の経営上の問題によって本来の医者の職

責や理念みたいなものが失われている。

 

これは私たちライブハウスにも当てはまる問

題だ。

 

そして今日の世の中の問題の核心のような気

もしている。

地球の上の狂騒曲 05

新コロ騒動が始まった頃、つまり2020年の3月か

4月頃はこのウィルスがなんなのかさっぱりわか

らなかった。とにかくスタッフの安全とご出演者、

お客様の安全と安心のためにできうることは全て

やってきたと思う。

 

空気清浄機を5台購入。

入り口で確認する検温機を購入。

アルコール消毒用のアルコールを各所に設置。

マスクを常備。

ドリンクカウンターにパーテーションを設置。

ステージ用パーテーションも購入。

 

そして、老朽化ということもあり換気機能付きの

大型エアコン2台を入れる予定。

これだけで300万の見積もり。

 

晴れたら空に豆まいてにおいてとった感染症対策だ。

 

でもこの対策、一体誰を守っているのか?

私は甚だ疑問に感じて来た。一応形式は取ってい

るが、これに意味があるとは到底思えない。

 

今では、協力金や怖がる人のため。

それがこの対策になってしまっている。

 

私の本音と結論は全く反対側にある。

 

「マスクをする必要は無い。」

 

「ワクチンは打たない。」

 

そう考えている。

 

それは思いつきや、誰かに吹聴されたことでは無い。

会社や家族を守る上で自分の人生を懸けて調べ尽く

した私なりの結果だ。

 

私の生き方の選択なのだ。

 

ここに大きな矛盾が生じている。

店でやっている感染症対策と自分の考えがまるっき

り違うんだから。

 

残念ながら私のこの「本音」はマイノリティ。

圧倒的マイノリティなので、本音を告白することは

圧倒的なリスクを伴う。

それでもそれを発信するのには訳がある。

 

同調圧力がむかつくのだ。

 

この同調圧力の果てに、打つ必要のないワクチンを

子供にまで打とうとする動きにつながるからだ。

する必要のないマスクを子供にまでさせているからだ。

 

「周りの人への、思いやりワクチン」なんていう不気

味なコピーを喧伝しているがその考え方は恐ろしい。

子供たちにそれを強制させることへ繋がる。

周りの人ってのは大人たちのこと。

大人のために犠牲を強いることに繋がる可能性が高い。

 

子宮頸癌ワクチン然り、薬害エイズ問題然り、私たち

は多くの失敗をして来た。

 

https://www.pmrj.jp/publications/02/shiryo_slides/yakugai_shiryo_sengo.pdf

※過去の薬害問題

 

今回のワクチンが子供たちに影響をもたらした場合、

誰がどうやって責任を取るのだろうか?

体に影響は無いと誰が言い切れるのだろうか?

更に、治験も終わっていない上mRNAワクチンとい

うどんな結果が出るかわからない未知の薬物を子供に

なぜ打つ必要があるのだろうか?

 

そして、こうした声を検閲するSNSを不気味だと思っ

ているからだ。

 

私は今後、どんどん友人を失ってゆくことになるんだ

ろうけどそれでもいいと思っている。

 

これが私の本音なのだから。