Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

生きること生かされること第2章

「生きること、生かされること」

解説の解説。

 

前回の第1章に続き、6章あるこの本の

第2章の解説の解説★

 

②心の不思議

 

このタイトルもまたグッとくる。

 

本書ではやはり「ココロ」についても

わかりやすく教えてくれている。

 

 

小林秀雄は、本居宣長の言葉を引用し

てこうしたことを言っている。

 

「悲しみを真実をもって、そのまま受

け入れ、ようく悲しみを理解して、自

分のものにしてしまうのが悲しみに耐

える方法であり、それから自然に和歌

となり、言葉となってあふれ出るもの

だ。苦痛は人間を浄化する。」

 

むむむむ、、、

これはこれはブルースの真髄か?

本居宣長を見る目が変わったぜ。

 

私はブルースが好きだ。

ブルースは悲しみに寄り添ってくれるから。

そして、悲しみを知っている人が好きだ。

その人の存在が、その人が発する言葉が、

何かを包み込んでくれるような気がする

からだ。

 

私自身もそんなブルースマンでありたい

と憧れている。その人自身が薬みたい。

 

ブルースマン薬師如来か?菩薩様か?

まぁその辺はわからないが、それに近い

感覚でブルースマンはありがたいと敬っ

ている。

 

そして、更に小林はこんな意味のことを

言った。

 

「苦しみや悲しみを受け止め直視し咀嚼

した人の言葉はきっと悲しみを背負って

いる人に寄り添うことができる。そして

その言葉は浄化され美しい。」

 

さらに、

 

ココロを浄化し、丈夫にするには訓練が

必要だとも言っている。

 

訓練とは?

 

それは、美しいものを素直に受け入れるココロ。

 

頭で考えずに、ココロで感じること。

だそうだ。

 

星の王子様の狐は

 

「心で見なければ、

           かんじんなものは見えないよ」

 

と言ったらしい。

 

 

心で見る、愛情で見る、感じる心で見

なければ本当のものは見えないと言う

教えだ。

 

何だかスターウォーズのフォースみた

いな話になってきたが、実に的を得て

いる。

 

 

人はついつい理屈や知識などが邪魔を

して物事を素直に感じることができない。

 

現代社会はますますそれが加速している。

 

知った気になって理屈や知識だけを信じ、

それ以外の見えないものを嘲笑する雰囲

気。

 

「見えないもの」をバカにするが、

「見えていないだけ」と言うことに気づ

かないこと。

 

 

小林は

頭で見るのではなく、尊敬、共感、愛情

で見なければ相手の人間を掴むことがで

きないとも言っている。

 

無私になれと。

幼子のように無邪気に構えろと。

 

西行の和歌も、宗祇の連歌も、雪舟の絵も、

利久の茶も、みんな同じことを言っている。

無私になれと。

 

 

 

 

 

ホントその通りだな、、、

 

 

 

でも、それが難しい。

 

そう簡単にいかないので、訓練しろと言って

いるわけだ。

 

 

小林秀雄は音楽を聴くときに、酔いしれなが

ら聞いていたと言う。頭で聴くのではなくて、

心で聴いて酔えと言うのだ。

 

 

美しい芸術や文化や自然にひたすら触れろと。

 

尊敬や愛情や共感の目を持ってココロで触れ

ろと。

 

それを幼子のような心で見ることが訓練だと。

 

 

楽しそうな訓練だ。

 

そしてその訓練の先には日常の暮らしの中で

の人間関係がある。

 

ここでそれができれば、ココロはグッと軽く

なる。

 

ココロはジャンジャン浄化されて、軽やかに

なるのかもしれない。

 

 

昭和7年世界恐慌の真っ只中で書かれた小林

秀雄の文章がこれ。

 

 

「一般経済の危機、政治の危機を眺めて、

これと同列になぜ精神の危機を置いてみ

ないのか。今日の社会の物的混乱がほと

んど怪物的な姿をしているのならば、物

質のうちで最も傷つき易い精神の姿は一

層怪物的な姿に見えるはずではないか。」

 

 

これって、まんま今の時代に当てはまる

のではないだろうか?

 

小林はさらにこう言った。

 

「人間の精神・ココロにも大恐慌をこう

むっていることに何故気がつかないのか!」

と。

 

これもそのまま今の時代に当てはまる。

 

今こそ当てはまる。

 

恐慌とは、恐れ慌てること。

 

私たちは、ココロが恐れ慌てている

 

新コロ茶番劇では、それが煽りに煽られている。

 

 

私たちは今こそココロで見て、

ココロで感じて、

心で聴いて、、、、

 

無私になることを目指す時代なのかもしれない。

 

 

幼子のココロがまえを取り戻す。

 

野生の勘を取り戻す。

 

あしたのジョーのハリマオ戦でも見返して

みよっと!

 

 

次回の第3章の解説は

 

「感動と情熱」

 

こちらもステキな言葉が満載です。

 

 

ココロの時代★

 

一緒に生き抜いて生きまくってやりましょー!

 

love

生きること、生かされること1022

生きること、生かされること

解説の解説。

 

  • 生きる知恵

 

いきなり深いタイトルから始まるぜ。

 

なるほど「生きる知恵」とは、世の

中に振り回されている私が最も欲し

いものかもしれない。いや、私だけ

では無く多くの人が知りたいことだ

と思う。

 

この新コロ茶番劇で問われているの

は、政治家の発信する「新しい生活

様式」なんかじゃ無く、一部専門家

が発信する恐怖を煽る偏った情報で

も無く助成金がらみの利権の構図を

考えることでも無い。

 

問われているのは、

 

私たちがどう行動するか?

私たちがどう考えるか?

私たちが何を求めるか?

私たちが何を子供たちに伝えるか?

 

問われているのは

私たちの「生き方」そのものなのだから。

 

 

 

冒頭に

 

生きる知恵を得るための教訓が記され

ている。

 

 

「自分自身になり切る時、他と和する

ことができる」

 

とある。

 

ちょっと難しいので、わたし自身を例

にして解説したいと思う。

 

 

その昔、北島三郎さんにお世話になっ

ていた時。

 

コンサートの打ち上げは、いつも最終

的には北島さんの部屋だった。

そこには親族とわたしだけ。

完全なプライベートタイムだった。

 

この時間の中で様々なことを教えてい

ただいた気がする。わたしにとっては

楽しくも貴重な時間だったわけだ。

 

北島さんが泊まる部屋は、スイートル

ームでだだっ広い。部屋にはグランド

ピアノまであったっけ。

 

北島さんは常に周りの人にお金が落ち

るようにしていた。そして、周りの人

がイメージする北島三郎像を裏切らな

いように振る舞っていた。

 

でもその部屋は北島さんが望んだもの

ではなかった。グランドピアノなんて

無くていいわけだ。部屋だって広すぎ

た。北島さんは、豪華絢爛な食事や贅

沢三昧の生活などをしていたら体や精

神を壊してしまうことをよく知っていた。

 

つまり、北島三郎というスター像のた

めの振る舞いだった。「俺はホントは

こんな部屋じゃ無くていいんだよ」と

よくおっしゃっていた。

 

北島さんの場合は、人望が厚くスケー

ルが大きいので世間のイメージと近い

部分もある。

しかしイメージとは全然違う素朴な部

分もたくさんある。北島さんに限らず、

多くの有名人はそうなんだと思う。

 

 

 

ヒトは、少なからず周りの期待に応え

ようとする。

 

女性らしくしろとか、男ならこうしな

さいとか、30歳になったら結婚しな

きゃとか、〇〇会社に入れば立派なヒ

トだとか、まぁ家族や社会から色々期

待されるわけです。

 

その期待に応えようとして頑張るのだ

けれど、それは実際自分がなりたいこ

とや、やりたいことでは無いことが多い。

 

どちらかというと、周りがイメージす

る自分を演じている時間の方が多いの

かもしれない。

 

うっかり褒められたりすると私みたい

なお調子者は、どんどんその期待に応

えようとしてしまう。

 

それが自分がやりたいことじゃ無くても。

 

 

「さすがです!」とか「肝が座ってる!」

とか「優しい!」とか言われると簡単

にのぼせ上がってしまう。

 

そして、私はそれらしく演じる。

 

時間が経つとバレてしまうので、バレ

ないように必死で演じる。

 

 

小心者でスケベでセコくて情けない、

ホントの私を見せるわけにはいかない。

奥歯を噛み締めて必死にその演技を続ける。

 

そしてその演技力は日に日にホントに力を

つけてゆく。

 

気がついたら歳をとっていた。

 

まぁこんな感じだ。

 

虚しい、、、

 

 

演技は上手くなったが

 

それは自分自身になりきっているとは言えない。

 

 

では自分自身になり切るためにはどーした

らいいか?

 

自分が本当にやりたいことをやるのだ。

 

まずそこから考える。

 

小さい時に得意だったことや、夢見ていたこと。

 

まずは妄想することから始める。

 

どこか好きな国に行きたいでもいいし、ヨット

に乗りたいでも絵を描きたいでも、役者になり

たいでもなんでもいいのだ。

 

そして、その妄想を絵に描いたり文字で箇条

書きにしたりするのだ。

 

それだけでもうイメージはグッと近づく。

 

「自分自身になり切る」ことに近づくのだ。

 

 

その行為をゼークトは下記のように言っている。

 

〜行為者はすべて芸術家である〜

と。

 

何かをする事は、その時点で芸術行為という事だ。

 

実行する事そのものが芸術と言っている。

 

そして本書では下記のように言っている。

 

「実行という行為には、いつでも理論より豊か

な何かが含まれている。現実を重んじる人とい

うよりは、現実性を敬う心がある。」

 

 

つまり

「とにかくやっちゃえ。やればいろんなことが

見えてくる。」ということだろうか。

 

確かに、やる前に諦めている事は多い。

 

 

 

「自分自身になり切る時、他と和することができる」

 

という言葉に戻ろう。

 

 

自分自身になり切るとは

 

自分自身が本当にやりたいことをやることだ。

 

それを実行することだ。

 

それを実行すれば自分自身になり切れる。

 

 

そうすれば他と和することができるのだ。

 

 

これが生きる知恵か。

 

 

これを教訓に私は絵を描き始めた。

 

 

水彩色鉛筆の絵。

 

 

実行する。

 

ヘタでもやっちゃう!

 

ルールなどない。

 

自由に!

 

まずはここから。

 

 

越路よう子の時代転換作戦最終章

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19歳の時にわたしはこの本によって

救われた。

 

頭がおかしくなって死ぬことばっかり

考えていた時に、わたしを救い出して

くれた本だ。

 

小林秀雄は19歳のわたしにとっては

とても難しかったのだが、その妹の高

見沢順子さんが、兄の残した言葉をわ

かりやすく解説した本がこの本だった。

 

その当時わたしは彼女の言葉で解説さ

れたこの本を貪るように読んだ。

夢中になって読んでいた。

その言葉の全てがわたしの心に特効薬

として浸透し、こんがらがってグジャ

グジャになったわたしの頭と心を整え

てくれたのだ。

 

わたしはその内容をノートに書留め、

図解して、もっともっと深く理解しよ

うと思った。

 

深く深く入っていけばいくほど心がど

んどん軽くなっていったからだ。

 

高見沢順子。

 

わたしにとっては命の恩人であり、過

去最強のココロのドクターであったわ

けだ。

 

 

会ったことないけど。

 

 

 

わたしは今、人生において大変難しい問

題に直面している気がする。

 

大袈裟に言えばこれは人類においても同

じように大きな問題に直面している気が

するのだ。

 

私たちはとんでもない時代の変換期に立

ち会っていると考えている。

 

 

わたしは、いろんな人のおかげで私がや

るべきことと、やりたいことがかなりフ

ォーカスされてきた気がするのだがもっ

とそれをフォーカスするために今一度こ

の本に救いを求めた。

 

もう一度この本を読み返して、ヒトが生

きることや生かしていただいていること

の意味を整理しようと思ったのだ。

 

「生きること、生かされること」

 

小林秀雄を解説した高見沢順子さんの本

をわたしなりに解説しようと思う。

 

一番いいのはこの本を読むことだけど(笑)

 ※ホントにそうです。

 

そんなわけで、大きな大きな時代の転換期。

 

わたしのようにもがいている人のために、

わたしのようにココロの弱い人のために、

わたしが救われた言葉の数々が何かの参

考になればという思いで綴ります。

 

 

「越路よう子の時代転換作戦」は今日で

おしまい。

 

これからは

 

「生きること、生かされること」

 

と題してこの解説を数回に分けてお届け

します。

 

お付き合いいただける人は暇つぶしに

お付き合いください★

 

 

それでは今日も思いっきり生きましょー!

 

 

 

越路よう子の時代転換作戦1018

徳島の純喫茶に来ている。

私は純喫茶が好きだ。

昔ブルータスという雑誌で東京にある

純喫茶を紹介したことがあった。

その時は恵比寿にある「喫茶銀座」と

いう喫茶店を紹介した。

1962年創業の老舗喫茶店だ。

 

ここのウェイトレスのお姉さんは、客

席の合間をモンローウォークでクネク

ネ歩き食べ終えたお皿やゴミなどを華

麗に回収する。

 

長い腕を「シュッ、シュッ」とカメレ

オンの舌ように伸ばし回収してゆく。

その様はお見事だ。

 

そしてカウンターにいるお母さんが名

物のナポリタンをジュージュー音を立

てて作っている。

 

 

私が今このブログを書いているのは徳

島駅近くの「たかしま珈琲店」。

こちらはトーストしたサンドイッチが

有名なお店。どう見てもサンドイッチ

なのだが、ハンバーガーと書いてある。

特におすすめなのがハワイアンバーガー。

パイナップルが入っていることのみハ

ワイを連想させるが、それ以外ハワイ

らしさが見当たらないのが特徴。

でもすごく美味しい★

こちらもスタッフは全員女性だ。

 

徳島にはこうした純喫茶がまだまだ多

く残っている。

 

スタバなどのチェーン店が非常に少な

いこともうれしい。

 

 

私が純喫茶を好むのはレトロな雰囲気

を味わいたいだけではない。

 

そこに集う人たちやお店のスタッフの

人たちの雰囲気が好きなのだ。

そして、それはなんだか共通している

ようにも感じる。

 

チャーン店はマニュアル通りの接客で

つまらない。そして、スタッフはキビ

キビと動いているように見えるが楽し

そうに見えない。あちらが楽しそうじ

ゃないので、こちらも楽しくない。

 

その点、自営業の純喫茶はそれぞれ自由だ。

 

自分たちがルールなので、そうした束

縛感は感じることがない。

 

その雰囲気がその店のしつらえに染み込む。

 

古い家具になればなるほどその浸透圧は深い。

 

つまり家具からも一定の波動が出ている

ように感じるのだ。

 

 

こうした場所でタバコを燻らせてコーヒ

ーを飲む。

 

 

私はこうした時間が好きだ。

 

 

しかし、世の中こうした場所が減っている。

 

驚くべきことに、恵比寿の喫茶銀座も禁

煙になってしまった。

 

世の中はどんどん締め付けられてゆく。

 

 

こうなったら自分で純喫茶を作るしかない。

 

「純喫茶越路」

 

 

本気で考えている。

 

 

 

 

越路よう子の時代転換作戦1008

俳優の三上博史さんは、なんでも自分で

作ることができる。器だって衣類だって

なんでも自分で作ってしまう。また、そ

のセンスが抜群に良い。お洒落なのだ。

 

絵描きの蘭子は、なんでも自分で作ろう

とする。紙はコウゾ(植物)から作る。

畑で野菜を作る。マスクはずいぶん作っ

てもらった。

 

私が暮らしていた、那賀町のおじいさん

たちはなんでも自分で作っちゃう。

椅子がなければ椅子を。

机がなければ机を。

額縁がなければ額縁を。

 

山形の友達は蕎麦のお盆でギターを作っ

ていたっけ。

 

 

みんな売ろうとして作っているのではなく

自分のために作っている。

 

 

オリジナルだ。

 

 

みんなクリエイティブだなー。

 

 

そー言えば、野毛という街はオリジナルの

お店ばかりだ。それぞれの店に個性が溢れ

かえっている。個性が強すぎて時々疲れる

がオモシロイ。それぞれの店にそれぞれの

謎のルールがある。

 

それぞれがオリジナルに独立しているのだ。

 

 

音楽はオリジナル曲の方が好きだ。

誰かの曲を演奏するのも楽しいが

やっぱりオリジナル曲が演るのも聞くのも

好きだ。

 

 

 

自分でオリジナルを作る★

 

下手でもなんでもいい。

 

ルールは自分★

 

評価も自分★

 

 

 

私たちは、良い点をとることを目指しすぎた。

 

それは良い点をとることで褒められたから。

 

でも良い点と言っても、その点の基準はよ

 

ーく考えると曖昧だ。

 

この年になってやっとわかった気がする。

 

良い点なんてなかったんだ!

 

良い点って

 

何のための、誰のための良い点なのか?

 

考えれば考えるほど答えは無い。

 

 

 

誰と比べなくても良い。

 

俗にいう良い点などとらなくて良い。

 

何事も気軽に始めてみる。

 

それこそが創作のカマエなのだと思う。

 

 

 

 

 

私は今、自分のソロアルバム作りたいと思ってる。

 

気軽に始よっと★

 

 

あー楽しい作業になりそうだ★

 

 

世界は美しい

越路よう子の時代転換作戦1006

お酒をやめて1年半の月日が経った★

 

今ではもっぱら炭酸水にライムで充分

楽しめる★

 

私はもともと下戸(全くお酒を飲めな

い人)だった。

 

なんで飲むようになったかというと、

 

飲まないと負けみたいな風潮があったり

飲みの付き合いみたいな文化があったり

酒の席で生まれる絆みたいなものを信じ

ていたり、、、、、、、

 

まぁ、幻のようなものを信じていたのだ

った。

 

さらに私は

 

気を失うまで飲んで飲んで飲み潰れるま

で飲んで何かを消そうとしていたりした。

 

それは自傷行為みたいなものがあったの

かも知れない。

 

ホントひどい飲み方をしていた。

 

演奏中に寝てしまったことも何度もあった

し道端で倒れ込んで寝たことも何度もあっ

た。ビルとビルの間に挟まって出れなくな

ったこともあったっけ(笑)

 

私をよく知っている人は、そんな私の醜態

を何度も見ただろう。

 

 

その節はご迷惑をおかけしました、、、、、

 

それでも数十年飲みまくることができたの

は楽しい時間でもあったからだ。大声で笑

ったり、踏み込んだ話をしたり、大騒ぎを

したり、、、、

 

それで何かを発散できていると信じ込んで

いたからだ。

 

 

そんな私が1年半もの間お酒を飲んでいない。

 

別に我慢しているわけではない。

 

元々下戸(ゲコ)なのだから。

 

それどころかホント楽になった。

特にココロが。

 

とても軽やかで心地よい。

 

 

私がお酒をやめたのにはいくつか理由がある。

 

 

歳をとったことによって知らぬ間に立場は

強くなり、今までのように本音を酔っ払い

ながら叫ぶことがつまらなくなったからだ。

それは単なる暴言になって、誰かを粉々に

してしまう。

 

ホンネを全部言ってしまうってことは、誰

かを激しくディスることになってしまう。

 

そして、もう一つの目的は自分自身のメン

タルの実験だった。

 

私はよく悪夢にうなされていた。

 

怖い夢や、暴力的な夢をしょっちゅう見て

いた。裏切られたり、傷つけられたり、襲

われたり、、、、、、

 

うなされまくっていた。

 

特に深くお酒を飲んだ後は、「あんなこと

言わなきゃよかった、、、」とか「すごく

失礼なこと言っちゃったな、、、」とか

「話し結構、盛っちゃったなぁ、、、」と

かそんなことを考えて後悔し、軽い鬱状態

に入ることもしばしば、、、

 

メンタルは非常に弱かったわけです。

 

 

私はそんないくつかの理由から、様々なメン

タルの実験を始めた。

 

その実験の一つが「お酒をやめる」ことだっ

た。

 

 

それから1年半。

 

 

私はしょっちゅう夢を見るようになった。

 

これがすごい。

 

全てSFかコメディなのだ。

 

100%。

 

笑って目が覚めることもしばしば。

 

 

お酒が好きな人がお酒を飲めば良い★

 

飲みたくない場合はやめちゃう。

 

無理はしない。

 

おすすめです★

 

 

世界は美しい。。。。。

 

越路よう子の時代転換作戦1005

 何かを批判する人は、大抵そのことを知

らない。

 

そのことをよく知らないで批判する人の

なんと多いことか。

 

 

同調圧力だったり、偏見だったり、イメ

ージだったり思い込みだったりする。

 

そこに科学的根拠などない。

 

だって、知ろうとも見ようとも試そうと

もしないのだから。

 

それでも批判する人たちの情報源は「テ

レビ」という場合が多い。

 

それが全ての根拠になっているので困っ

てしまう。

 

もっと困ってしまうのは、それを「正義」

に転換して攻撃を始める輩だ。

 

根拠が「テレビ」ってのがずっこける。

 

 

 

もう、マスクはやめた方がいい。

 

全員やめたら一気に景気は上がる。

 

 

 

何かを批判する人は、大抵そのことを知

らない。

 

それを試したことすらない。

 

科学的根拠がない上、試したこともない。

 

そんな人が、鬼の首を取ったかのように

攻撃する。

 

 

 

 

 

大麻で捕まる先進国なんて、日本くらいだ。

 

アホらし。

 

 

世界は美しい、、、