Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

越路よう子のハレマメ奮闘記 完

7月1日をもってクラウドファンディングが終了しま

した。このブログシリーズ(越路よう子のハレマメ

奮闘記)も、7月1日で終了いたしました。

 

経営危機に瀕した「晴れたら空に豆まいて」の存続

をかけてのクラウドファンディングでした。そもそ

も存続できるのか?続けられるのか?刻一刻と移り

変わる世の中の状況に対する経営は、それをはっき

りとお約束できる状態ではありませんでした。

 

私たちにとっては荒れ狂う海の上で、難破しそうな

小舟に乗っている気持ちだった訳です。

 

私はその小舟の船長でした。

 

このブログシリーズ(越路よう子のハレマメ奮闘記)

は、ご支援いただいたみなさまにその状況をお知ら

せさせていただくために始めたものでした。

 

きめ細かいご報告をさせていただくためには、ブロ

グが最もお伝えしやすかった訳です。

 

4月23日から7月1日までの間、拙い文章を綴り続け

ましたがこのシリーズは本日をもって終了させてい

ただきます。

今後は、元々やっていた私のくだらないプライベー

トブログに戻ります。

 

尚、クラウドファンディングに関する公式のご報告

につきましては晴れたら空に豆まいてのホームペー

ジやダイレクトメールでお伝えさせていただきます

のでどうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは

越路よう子のハレマメ奮闘記に、今日までお付き合

いいただいた方々には、心よりお礼申し上げます。

 

ありがとうございました。

 

 

深謝

越路よう子

越路よう子のハレマメ奮闘記0630

f:id:koshijiyoko:20200423133140j:plain

本日ハレマメクラウドファンディングが終わります。

4月23日から始まりその後およそ2ヶ月余りの間、

多くの方々から励ましのお言葉や、心温まるメッセ

ージをいただきました。

 

7月1日14時の時点でその数1735名様。

 

これに加え、直接手渡しでいただいた方々を含める

と1741名の方々にご支援をいただいたこととな

ります。金額は12,488,122円に達しまし

た。

 

驚くべき金額と、ご支援いただいた方々のその人数

に、嬉しさと感謝の念と戸惑いと喜びとホッとした

気持ちと、、、、、様々な気持ちが入り混じり湧き

上がってまいりました。

 

これほどの方々に「晴れたら空に豆まいて」がお気

持ちを寄せていただいていることと、これほどの方

々に「晴れたら空に豆まいて」が認知され、気遣っ

ていただいていたということが驚きであり何にも変

えることのできない喜びでした。

 

今回のクラウドファンディングは、財政的な援助ば

かりでなく多くの喜びや気づきを与えていただける

大きなきっかけにもなったわけであります。

 

それはもう感謝しかないわけですが、言葉では言い

表せないほどの気持ちがずっと続いております。あ

りがたい、ありがたい、ありがたい、ひたすらあり

がたい。本当に、本当にありがとうございました。

 

嬉しいのは、お金だけではなく多くの方々に寄せて

いただいたコメントやメール、TweetなどSNS上で

見る事のできるちょっとした一言など、その全てが

私たちに圧倒的な勇気と希望を与えてくれました。

 

そして同時に、貴重な時間と愛に溢れるお気持ちに

どうやってお気持ちをお返しできるのだろうか?そ

の責任はどのようにして果たされるべきなのか?本

当に私たちはそれができるのか?という不安と戸惑

いも同時に生まれました。

 

 

 

このクラウドファンディングがなければ、とっくに

廃業に追い込まれていました。

 

 

私たちには多くの困難がございました。

 

まず、大阪のライブハウスからクラスターが発生し

たということで連日ライブハウスは槍玉に挙げられ

ました。

 

大阪のそのライブハウスは誠実に事実を報告し、出

演者のミュージシャンの方々も誠実な報告をした結

果、実名が公表されたりネットで誹謗中傷を受けま

す。その輪はグングン広がり全国の「ライブハウス」

は危険視されるようになります。

私たちも同じようにその対象となりました。

 

その後3月期は半分以上がキャンセルになり4月期

は絶望的で、収入はゼロ。そして完全な休業を余儀

なくされました。

 

この頃は、コロナという病原体の正体は不明でヨー

ロッパの感染状況やアメリカの死者数などが連日報

道され恐怖を煽られ続けていた気がします。

 

政治は混乱し、政府からの保証案も2転3転し経営

プランは全く立てることができずただただ情報をか

き集め、国会中継を連日視聴し、何通りもの経営プ

ランを立てては変更し立てては変更しの繰り返しだ

ったと思います。

 

もうこれはダメかもしれない、、、、と思った時に

クラウドファンディングを始めさせていただいたの

です。

 

クラウドファンディングを始めるときに綴らせてい

ただいたご挨拶文にも載せましたが、お世話になっ

ている方々に救済のお願いをすることがそもそも不

条理で、厚かましく、情けなかった訳ですが私たち

にはそれしか方法がございませんでした。

 

苦渋の判断で出させていただいたS.O.S.だったわけ

です。

 

振り返ると、

クラウドファンディングを始めさせていただいた4

月23日の時点では、収入は0になり、雇用問題や

家賃の問題など支払いしなければならない固定費に

全く目処が立たず支払い期日だけが迫ってくる状態

でした。

 

従業員、スタッフの将来や生活、極めて困難な家賃

交渉、雇用調整助成金の複雑で難解な計算式と膨大

な書類(現在は激的に簡素化されました)などが複

雑に絡まりあい、その上国の保証体制案もクルクル

変わり、その情報に揺さぶられ振り回される日々が

続きました。

 

政策金融公庫からの融資は受けたものの、それはあ

くまで借金であり返すあてのない借金は不安の塊で

しか無かったのです。

 

 

この頃私は、ミミズ腫れか切り傷のような形の不思

議な蕁麻疹が連日身体中に出ていました。知恵熱と

いうやつでしょうか?(笑)数時間経つと引くので

すが、毎日その痒さに悩まされました。また、ビジ

ュアルがすごく気持ち悪いのでこればっかりは気持

ちが落ちることが多々ありました。自分自身の精神

力の弱さが露呈したわけです。

 

そして、その後6月12日に2次補正案が通りある

程度の国のサポートが確定します。

 

 

2月中旬から考えると4ヶ月近くの時間がかかりま

した。

 

 

 

そんな中ぐんぐん伸びるクラウドファンディング

ご支援の数字は、国の保証よりも何よりも経営的な

プランを立てる上で確実かつ有効で、なんと頼り甲

斐のある数字だったか、、、、。いつの間にかクラ

ウドファンディング自体が「晴れたら空に豆まいて

」存続のための背骨になっていたのです。

 

これが無かったらと思うと、、、、、、、、

 

 

それほどまでにみなさまのご支援が私たちの心の支

柱になり、お店の存続への光を柔らかく差し込み続

けてくれたのです。

 

 

みなさんに救っていただきました。

何度感謝の思いを綴ってもお伝えしきれるものでは

ありません。

 

次は私たちが自身の力で立ち上がる時です。

 

 

 

 

そして現在の晴れたら空に豆まいての経営状況につ

いてお知らせさせていただきます。

 

長引く休業期間に累積した赤字は大きく、現時点で

はまだ赤字の状態です。持続化給付金、雇用調整助

成金、家賃給付補助、東京都感染拡大予防協力金な

どまだ未入金で採択されるかどうか未定のものも入

ったものと想定し、更にクラウドファンディング

支援金を差し引いて計算すると残った赤字金額は8

00万ほどです。(7月1日時点)

 

これから私たちはこの金額を返済してゆくことと、

新たな取り組みにチャレンジをしてまいります。

新たなチャレンジというスタート台に立てたのは、

クラウドファンディングがあってこそに違いあり

ません。(無ければつぶれていました)

 

8月には「晴れたら空に豆まいて」が誕生してか

ら15年目の節目を迎えます。

 

この月から私たちは再起動します。今までの様な

形での営業ではなく、変容した形での再起動です。

 

実際にご来場いただくお客様の数には限りがござ

いますが、安全と安心をベースにお楽しみいただ

ける新たな環境をご提供させていただきます。

 

また、この自粛期間に培い、今後発展してゆく番

組作りという新たな表現方法で皆さまにはご自宅

でお楽しみいただけるコンテンツを真心込めてご

提供させていただきます。

 

そして、ハレマメ商店(Hare-Mame Store)とし

て発足するオンラインショップでは先のブログで

長々と綴らせていただいた理念を元にみなさまに

喜んでいただける商品を、真心込めてご紹介させ

ていただきます。

 

 

みなさまからいただいたご支援金は、本日2020

年7月1日、23時59分を持ちまして終了し、正

確な数字が出ます。

その後改めてご支援金の使い道をお知らせさせて

いただきます。

 

大切に、大切に使わせていただきます。

 

 

 

それでは大変長くなりましたが、晴れたら空に豆

まいて全スタッフを代表いたしましてあらためて

心より御礼申し上げます。

 

ありがとうございました。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

 

深謝。

 

2020年7月1日

株式会社ベルリンの庭で(晴れたら空に豆まいて

代表取締役 越路よう子

越路よう子のハレマメ奮闘記0629

もうすでに政治は機能しておらず、医療や薬学の世

界も、教員の世界も、宗教家の世界も、大手企業の

世界も、メディアの世界も、疑わしいものばかりで

した。

 

そんな中、日本人の背骨になっている「神話」と私

たちが暮らすこの地球の外側にある宇宙について考

えてゆけば何かが掴めるのではないかと思うように

なったのでした。

 

そこにあるテーマはまさに「愛」そのもので、ポジ

ティヴなエネルギーそのものだったからです。

 

古事記に描かれる神話の数々や古事記以前に編纂さ

れたという竹内文書出口王仁三郎大本教や沖縄

御嶽信仰出羽三山の山伏の教えや縄文の教え。

空海密教ダライ・ラマ密教。そんな先人達の

教えには一つの共通点がありました。

 

それは、この世界を照らすための「愛」のエネルギ

ーについてどう感じてどう考え、どう伝え、どう身

につけるかをそれぞれのエピソードや方法で説いて

くれているということでした。それは宇宙の物理を

探求する学問や哲学の世界や文学の世界にも、そし

てもちろん音楽の世界にもそれは存在するのでした。

 

わたしはこうしたことを身につけるために徳島県

限界集落那賀町へと移住しました。

 

空海の重んじた剣山(鶴亀山)があることや、神話

の舞台として重要視されてきたこのエリアには何か

の鍵があるのではないかと思ったのです。

 

現代社会の利権の構図や、常識や道徳などは戦後数

十年で作られたものです。そしてこの仕組みは上等

であったとは言い難く、少なくとも日本では毎年3

万人以上の自殺者を生み続けています。

 

この常識なるものを疑っていたわたしは、もっとも

っと奥にある人間の生き方や考え方、自分自身の心

を浄化することや、まともな視点を手に入れること

や、強いシックスセンスの感覚や、都会の時間軸で

は成し得ないことがここではできるのかと思ったの

です。

 

徳島に移住し、代官山と那賀町(徳島)を行ったり

来たりしながら様々なことを教えていただきました。

とてつもなく貴重な体験をさせていただきました。

そして4年の月日が経過しようとしている中、わた

しは自分がやるべきことがはっきりとわかりました。

 

わたしの情報源は、わたしが実際に見て体験したも

のと、掴んできた情報。そして晴れたら空に豆まい

て(代官山のライブハウス)のネットワークで培っ

た情報が全てです。

 

晴れたら空に豆まいてには独自のネットワークと良

質な情報を持つ優秀なスタッフが大勢います。また、

年間360本以上のイベントの中で知ることのでき

る情報は多岐に渡ります。私たちはすでに4000

本以上のイベントを制作して参りました。

 

この中で出会った方々に教えていただいた貴重な情

報や、暮らしを豊かにするものや、考え方や時間を

厳選しご紹介することがわたしの大切な使命なのだ

ということがわかったのです。

 

そして、それは誰かのお役に立てるものであったり、

人々の暮らしを豊かにするものであったり、善なる

ものであったり、大きく言えば「愛」そのもののエ

ネルギー活動でありたいと力強く思うのです。

 

 

わたしは「身体」・「考え方(脳)」・「メンタル

(心、精神、魂)」をテーマに様々なことを心を込

めてご紹介してゆきたいと思います。

 

長い長いお話になりましたが、お付き合いいただき

ましてありがとうございました。

 

これが私の今思うことであり、最もエネルギーをか

けたいこの取り組みに至るまでの経緯となります。

 

 

以下がその具体的なことになります。

 

身体

医食同源と呼ばれるようにわたしたちが日々身体に

摂取するものは、体だけでなく、気や心にも作用し

ます。晴れたら空に豆まいて越路姉妹のネットワ

ークから得た膨大な情報の中から厳選し、医学的に

裏付けされた健康で貴重な食材、化学物質に頼らな

いオーガニックな化粧品、漢方薬品、暮らしが豊か

になる生活用品をご紹介させていただきます。

 

考え方(脳)

人生は考え方ひとつで変わってゆきます。それは出

会った人によっても、出会った書籍や映画、あるい

は音楽によっても変わってゆきます。晴れたら空に

豆まいて、越路姉妹のネットワークから得た膨大な

情報の中から厳選し、ぜひオススメしたいステキな

書籍、音楽、映画などの世界をご紹介させていただ

きます。

 

メンタル(心・精神・魂)

人間は魂を磨くために生きていると言った教えがあ

ります。ただ、行き詰まった現代社会では魂を磨く

といっても中々それを考える時間すら与えられない

のが現実です。しかし現代社会とは、人類の歴史、

地球の歴史、もっと引いて言えば宇宙の歴史から考

えるとそれはほんのわずかな時間の仕組みでしかあ

りません。そのわずかな時間の中で決められたルー

ルによって心がもつれたり苦しんでいるのが私たち

の世界でいう現代病というものなのかもしれません。

ここでは、人と人との直接的なコミュニケーション

から生まれる心の浄化を目指します。様々な世界で

活躍するオモシロき生き方を実践する先達たちとの

コミュニケーションサロンの時間をご提供します。

 

 

これは、晴れたら空に豆まいてのホームページから

リンクされている「みんなで幸せになろう」(仮)

のページでご覧いただけます。

 

全ての時間を豊かな時間へ、みんなで幸せになるプ

ロジェクトの始まりです。

 

 

おわり

越路よう子のハレマメ奮闘記0629

もうすでに政治は機能しておらず、医療や薬学の世

界も、教員の世界も、宗教家の世界も、大手企業の

世界も、メディアの世界も、疑わしいものばかりで

した。

 

そんな中、日本人の背骨になっている「神話」と私

たちが暮らすこの地球の外側にある宇宙について考

えてゆけば何かが掴めるのではないかと思うように

なったのでした。

 

そこにあるテーマはまさに「愛」そのもので、ポジ

ティヴなエネルギーそのものだったからです。

 

古事記に描かれる神話の数々や古事記以前に編纂さ

れたという竹内文書出口王仁三郎大本教や沖縄

御嶽信仰出羽三山の山伏の教えや縄文の教え。

空海密教ダライ・ラマ密教。そんな先人達の

教えには一つの共通点がありました。

 

それは、この世界を照らすための「愛」のエネルギ

ーについてどう感じてどう考え、どう伝え、どう身

につけるかをそれぞれのエピソードや方法で説いて

くれているということでした。それは宇宙の物理を

探求する学問や哲学の世界や文学の世界にも、そし

てもちろん音楽の世界にもそれは存在するのでした。

 

わたしはこうしたことを身につけるために徳島県

限界集落那賀町へと移住しました。

 

空海の重んじた剣山(鶴亀山)があることや、神話

の舞台として重要視されてきたこのエリアには何か

の鍵があるのではないかと思ったのです。

 

現代社会の利権の構図や、常識や道徳などは戦後数

十年で作られたものです。そしてこの仕組みは上等

であったとは言い難く、少なくとも日本では毎年3

万人以上の自殺者を生み続けています。

 

この常識なるものを疑っていたわたしは、もっとも

っと奥にある人間の生き方や考え方、自分自身の心

を浄化することや、まともな視点を手に入れること

や、強いシックスセンスの感覚や、都会の時間軸で

は成し得ないことがここではできるのかと思ったの

です。

 

徳島に移住し、代官山と那賀町(徳島)を行ったり

来たりしながら様々なことを教えていただきました。

とてつもなく貴重な体験をさせていただきました。

そして4年の月日が経過しようとしている中、わた

しは自分がやるべきことがはっきりとわかりました。

 

わたしの情報源は、わたしが実際に見て体験したも

のと、掴んできた情報。そして晴れたら空に豆まい

て(代官山のライブハウス)のネットワークで培っ

た情報が全てです。

 

晴れたら空に豆まいてには独自のネットワークと良

質な情報を持つ優秀なスタッフが大勢います。また、

年間360本以上のイベントの中で知ることのでき

る情報は多岐に渡ります。私たちはすでに4000

本以上のイベントを制作して参りました。

 

この中で出会った方々に教えていただいた貴重な情

報や、暮らしを豊かにするものや、考え方や時間を

厳選しご紹介することがわたしの大切な使命なのだ

ということがわかったのです。

 

そして、それは誰かのお役に立てるものであったり、

人々の暮らしを豊かにするものであったり、善なる

ものであったり、大きく言えば「愛」そのもののエ

ネルギー活動でありたいと力強く思うのです。

 

 

わたしは「身体」・「考え方(脳)」・「メンタル

(心、精神、魂)」をテーマに様々なことを心を込

めてご紹介してゆきたいと思います。

 

長い長いお話になりましたが、お付き合いいただき

ましてありがとうございました。

 

これが私の今思うことであり、最もエネルギーをか

けたいこの取り組みに至るまでの経緯となります。

 

 

以下がその具体的なことになります。

 

身体

医食同源と呼ばれるようにわたしたちが日々身体に

摂取するものは、体だけでなく、気や心にも作用し

ます。晴れたら空に豆まいて越路姉妹のネットワ

ークから得た膨大な情報の中から厳選し、医学的に

裏付けされた健康で貴重な食材、化学物質に頼らな

いオーガニックな化粧品、漢方薬品、暮らしが豊か

になる生活用品をご紹介させていただきます。

 

考え方(脳)

人生は考え方ひとつで変わってゆきます。それは出

会った人によっても、出会った書籍や映画、あるい

は音楽によっても変わってゆきます。晴れたら空に

豆まいて、越路姉妹のネットワークから得た膨大な

情報の中から厳選し、ぜひオススメしたいステキな

書籍、音楽、映画などの世界をご紹介させていただ

きます。

 

メンタル(心・精神・魂)

人間は魂を磨くために生きていると言った教えがあ

ります。ただ、行き詰まった現代社会では魂を磨く

といっても中々それを考える時間すら与えられない

のが現実です。しかし現代社会とは、人類の歴史、

地球の歴史、もっと引いて言えば宇宙の歴史から考

えるとそれはほんのわずかな時間の仕組みでしかあ

りません。そのわずかな時間の中で決められたルー

ルによって心がもつれたり苦しんでいるのが私たち

の世界でいう現代病というものなのかもしれません。

ここでは、人と人との直接的なコミュニケーション

から生まれる心の浄化を目指します。様々な世界で

活躍するオモシロき生き方を実践する先達たちとの

コミュニケーションサロンの時間をご提供します。

 

 

これは、晴れたら空に豆まいてのホームページから

リンクされている「みんなで幸せになろう」(仮)

のページでご覧いただけます。

 

全ての時間を豊かな時間へ、みんなで幸せになるプ

ロジェクトの始まりです。

 

 

越路よう子のハレマメ奮闘記0627

この時もパニック状態に陥りましたが、やはりそこ

には様々な憶測が飛び交いました。天災である地震

でさえ陰謀かと疑われ、その地震によるとてつもな

い被害や悲劇に揺さぶれた直後原発が水蒸気爆発を

起こします。

 

私たちの国は、長崎、広島に続き福島で三度目の被

曝を体験することになりました。

 

その時私たちの行動は3つに分かれました。原発

ら少しでも遠くへ逃げる人、いろいろな事情があり

その場にとどまる人、そして現地へ救助応援へ向か

う人。そのどれもが正しい行動でした。人それぞれ

条件や信条が違う上、人類が経験したことのない事

故が起きたのですから。

 

その当時わたしは離婚していました。幸い二人の子

供は元妻の実家である九州にいたので、子供達に危

険が及ぶことはありませんでした。その頃父をガン

で失い、実家の家族は海外へ住んでいたのでわたし

はまさに独り身でした。義理の父は自殺で他界し、

親戚縁者のほとんどはすでに亡くなっていました。

その上散々自分勝手な生き方をしてきたわたしは、

この時すでに失うものなどありませんでした。

 

罪滅ぼしのような気持ちも加わり、原発が爆発し

た直後わたしはモーキ(晴豆の主任音響エンジニ

アで友人)と福島の相馬神社に入りました。

越路姉妹で開催した緊急ライヴで急遽集めた救援

物資をトラックにパンパンに詰め込んで、ライヴ

後の深夜、東北道をひた走り福島に向かいました。

東北道には見たことのないウルトラ警備隊のよう

な不思議な車がたくさん走っていました。その他

自衛隊の車や戦車なども走っていました。

この間一般的な車はほとんど見かけませんでした。

道もひび割れたり陥没している中、特殊車両に囲

まれて進む東北道は異常な光景でした。

 

そして、高速を降り飯館村を通過するときには朝

方になっていました。川面がキラキラと光に揺れ、

水鳥たちは何事もなかったように水面に佇んでい

ました。その光景は、そのとき起こっている恐ろ

しい状況とのギャップで、とてつもなく美しい天

国のような光景でした。それは今でもはっきりと

胸に焼き付いています。

 

そして南相馬にある相馬神社に着くと、そこには

多くの救援物資が集められていました。その物資

の仕分けや運搬を手伝いながら南相馬の街を走ら

せるのですが、どこもかしこも津波の傷跡が深く

残っており目を覆いたくなるような光景をたくさ

ん見ることとなりました。

 

まさにそれは地獄でした。

 

翌日東京へ戻り、その後福島や石巻などの街に向

かいいろいろなお手伝いをさせていただきました

が、半年後にはわたし自身の精神状態がおかしく

なり夜中に急に叫び声をあげたり、足をばたつか

せて号泣したり、過度の酒を暴飲したりと、今考

えると軽いノイローゼのような状態に陥っていた

のだと思います。

 

この頃を振り返ると、地震津波で大騒ぎになり、

その後問題は原発の問題に変わってゆき、セシウ

ムやらなんやらと覚えたての専門用語に振り回さ

れ、やがて問題は東電や政府の責任問題へ。そし

原発反対か推進かの政治論争へ変容してゆきま

す。この過程の中で、原発の是非はともかくとし

て今まで隠されてきた様々な問題が露呈するよう

になります。

 

それぞれの考え方があるので一概には言えないの

ですが、わたしはどうしてもデモ行進や、反対運

動に参加する気持ちになれず自分がどう行動する

べきかを考えていました。

 

正しいか間違いかということではなく、何かに反

対するというエネルギーがわたしにとってはポジ

ティヴなエネルギーではなくもっと違った役割が

わたしにはあるのではないか?と思うようになっ

たからです。

 

それからわたしはラブソングしか書かなくなりま

した。誰かを愛しく思う気持ちだけを書き続けた

いと思うようになったのです。

 

 

原発問題の奥にある利権の問題、911の裏で露

呈された悪魔的存在、人間の生と死、宇宙の構図、

哲学、宗教、量子力学などの物理学、宇宙幾何学

などが頭をぐるぐるシェイクする中、最終的な心

の拠り所は神話の世界にあるのではないかと思う

ようになりました。

 

つづく、、、、、

 

越路よう子のハレマメ奮闘記0626

大手メディアの情報を元に歌うメッセージソングは

嘘なんじゃないかと疑い始めたのもこの頃です。

大切なのは情報ではなく、情報源だったのです。

 

そしてメディアの情報には意図的に民衆を誘導する

罠のようなものがあることもここで知りました。

自分たちの都合の良いように情報をコントロール

るのです。その裏には必ず利権の構図が存在します。

西も東も面白いように同じ構図だったのです。

 

 

そんな活動を始めて3年後、大学3年生の時にSON

Yのスカウトマンからスカウトされます。私は英語

の教師を目指しながら同時に、ジョン・レノンやブ

ルース・スプリングスティーンのように心の中に渦

巻く思いや考えを音楽で伝えたいと思い始めていた

ので、それはとても嬉しいきっかけだったのでした。

 

その後、並行して教育実習には行ったものの、教員

になることは諦め音楽家になることを目指します。

教師よりも音楽家の方が私自身の人生を変えてくれ

たからです。

 

そこから10年ほどの期間、レコード会社やプロダ

クションなどを転々とし一度もデビューしないまま

私は転落してゆきます。

 

自分の書く歌詞やメロディに固執していたことも一

つの原因だったとは思いますが、私にそれほどの魅

力がなかったのでしょう。私は世の中に出ることが

ないままインディペンデントの道に入ります。それ

が、今私が代表を務める代官山のライブハウス、

晴れたら空に豆まいて」の前身である横浜の会社

だったのです。

 

私には自分でも驚くほど、想像以上の強い意志があ

ったため、音楽を捨てることはありませんでした。

マザーテレサから受けたあの衝撃、音楽から受け取

った感動とメッセージ、人が生きる意味を教えてく

れた文学や芸術、教員になって様々なことを若い人

に伝えようと決意したあの思い、「愛」というもの

の意味の探求。それが全て音楽で表現できるのだか

ら私は、音楽は一生の私の課題であり使命であると

すら思っていたのかもしれません。

 

その思いは今でも変わることはありません。

 

そして、新しいインディペンデントな音楽活動が始

まった矢先、911テロが起こります。

 

2001年9月11日、全世界が震撼したあの事件

です。妹がアメリカに住んでいたため、アメリカに

は親戚や友達おり私はとても他人事とは思えません

でした。ビルに突っ込んでゆく機体を中継するあの

映像は今でも脳裏に焼き付いています。

 

とにかく大変なことが起きた。私はちょっとしたパ

ニックに陥りました。その後のブッシュ政権の発表

も日本のメディアも、海外のメディアもテロと断定

づけ、その首謀者をオサマビンラディンとし今世紀

最大のテロだと印象付けました。

 

最初は私もすっかりその情報を鵜呑みにしていたの

ですが、メディアというものは時として利用されま

す。情報源がどこかということが重要なのです。案

の定、時の経過とともにいくつもの疑問点が沸き起

こってきました。それについては今ではネットに溢

れる検証番組を見ればわかりやすく説明されていま

す。一言でまとめれば、利権の構図そのものが狂因

だったのです。全ては仕組まれたアメリカ合衆国

裏にいる超巨大な組織による自作自演の悪魔のスト

ーリーだったのです。

 

しかし、どんなにその事実を発信しようともその情

報は一部の人しかキャッチできません。

大半の人には届かないのです。それは、単純な理由

でした。まだ人々にとっての情報源はテレビやラジ

オ、新聞などのマスメディアだったからです。映画

やネットでどんなに細かく検証しようが、証言しよ

うが、どんな有名人が警鐘を鳴らそうが届きません。

ジョン・レノンや、マイケル・ジャクソンの叫びで

すら届かなかったのだから無理もありません。

 

また、人々は日々大変忙しく働いています。朝から

晩まで働いて、週末にはゴルフに出かけたり、趣味

の時間に費やしたり、家族との時間を大切にしたり

と、この問題についてまともに考える時間などある

はずがないのかもしれません。

そもそもこの労働の仕組みですら仕組まれたものか

もしれませんが、、

 

このようにして、この大事件はイラクとの戦争へと

結びつき大義名分だった大量破壊兵器など見つから

ないままフセインは一方的に処刑されます。カダフ

ィなどの殺害もほぼ同じ背景がありました。米ドル

基軸通貨システムを破壊し、圧倒的な社会保障

度を確立し、本当の意味での独立国家を目指したカ

ダフィへの国民の支持率は圧倒的なものがありまし

た。

 

しかし、西側のマスメディアの報道は一方的に「悪」

のイメージを植え付けるものばかりでした。独裁者

の暴君というイメージです。事実とは全く違う報道

で洗脳し、体制に反対するものは簡単に殺すのです。

これらの全ては利権の構図です。

 

その規模の小さなものがこの国の原発とメディアの

関係だったり、緑十字などの事件に代表されるよう

な医薬品と医療の関係だったり、ゼネコンと政治家

の関係だったり、その数は枚挙にいとまがありませ

ん。全て同じ構造なのです。

 

そして911から10年後、今度は311東日本大

震災が日本列島を襲います。

 

 

つづく、、、、、

越路よう子のハレマメ奮闘記0625

やがて時は過ぎ、高校に進学すると青春の真っ只中

でサッカーと音楽、そして覚えたての恋などに夢中

になりマザーテレサとはかけ離れた生活に没頭しま

す。

 

ただ、頭の中ではマザーテレサのことを忘れたこと

は一度もなかったのだと思います。

私は大学に進学する際選んだ学部は文学部で、ドイ

ツ文学を専攻しました。ドイツが好きで、当時のド

イツサッカーが好きで、MSGなどのジャーマンメタ

ルが好きだったことも大きな原因でしたが、ドイツ

文学には「愛」というものを追求する哲学的な文学

が多かったことも大きな決め手となったのでした。

 

そして教師になって「愛」というものを若い子供た

ちに伝えたいと思ったのでした。

 

この当時私は教師になりたかったのです。

 

ただ、記憶力だけを試す大学受験の仕組みに疑問を

持った私は同級生が進学してゆくことを他人事のよ

うに傍目から眺め、考え事ばかりしていました。

そして高校卒業後は2年間フラフラアルバイトを過

ごす日々が続きました。いわゆるプータローというや

つです。

 

この期間、ろくに勉強はせず小林秀雄などの思想家の

本を読み漁ったり、落合信彦などのジャーナリズムの

世界に傾倒してゆきました。それと並行してボブ・デ

ィランやジョン・レノン、ブルース・スプリングステ

ィーンの描くメッセージソングにものめり込んでゆき

ました。彼らが描く社会問題への問題提起や叫び。そ

して熱い恋愛観や暮らしの中から生まれたブルース、

そして愛や戦争、平和についての歌詞とサウンドが私

の心を鷲掴みにしていたのでした。

 

この時期が人生の中で一番音楽を聴いた時期だったか

もしれません。

 

その後大学に進学すると、大好きだった音楽を再開し

ます。歌を作り、歌詞を書き、バンド活動を始めたの

です。マザーテレサが発信してくれた「愛」、そして

ジョン・レノンブルース・スプリングスティーン

歌う世界を模倣し、人前で歌を歌うようになりました。

 

それと同時に私はイギリス人のヒッピーの英語教師と

様々な社会活動に参加します。天安門広場での中国共

産党による弾圧に対する反対集会や、様々な社会問題

に対する署名活動などその数は数え切れないほどでし

た。ただ、その活動の結果何か良い結果を導き出した

ものは皆無で、ちょっとだけ虚しい思いをしたことも

覚えています。

 

私はそこにあまり意味を見出すことができず、やがて

自分の目で世界を周ろうと決意します。私はシルクロ

ードの旅に出ることを決めたのでした。今で言うバッ

クパッカーというやつです。

 

日本から韓国に渡り、船で天津に向かって、北京へ。

そしてウイグル自治区を目指す長い旅でした。そこで

中国共産党が発信する情報と現実の世界とのギャップ

を目の当たりにします。共産党が警告する危険エリア

に行けば行くほど平和だったのです。

 

中国には53民族もの民族が存在し、文化も歴史も習

慣も全然違ったのです。中国共産党は、中央政府の言

うことを聞かず、独立運動を展開しようとするエリア

を危険地帯とレッテルを貼り、多くの人を洗脳してい

たのです。ウイグル自治区では殺しが多発し、泥棒ば

かりで臓器の売り買いが激しいなどと言う人もいまし

たが、実際行ってみるとそこはとてつもなく平和で、

清潔で、優しい人が溢れる美しい街でした。北京や

上海の方がよっぽど危ない街だったと断言できます。

 

自分の中でのメディア信仰のようなものが崩れ落ちた

旅でもありました。

 

つづく、、、