Koshiji Yoko

越路姉妹の越路よう子が日々思うことを綴ります。

「小さい」のビックバン

拝宮農村舞台公演 編集後記

 

2019年5月26日に、徳島県那賀町と言う限界集落にある神社でのお祭りのこと。

 

わたしは今から約3年前にこの那賀町に移住した。

移住といっても半分は横浜、半分は那賀町といった2拠点生活というパターンでの暮らしだ。

 

わたしが移住した訳にはいろいろな理由があった。

 

 

311のかの大震災の直後、日本列島全体がノイローゼになったかのような異常な空気感に包まれたそのさ中、わたしは呆然と立ち尽していた。

 

今自分にできることを必死に探し、もがき続けるのだがその度に自分の無力さを思い知らされるだけのやりきれない虚しい日々がしばらく続いた。

 

多くの人がそうだったように、わたしも同じように混沌とした世界の中で自分の中にある善と悪について、政治のあり方や、原発の問題について、利権の問題や生と死について、ありとあらゆる問題が土石流のように襲いかかり、心と頭の中をかき乱していたような気がする。

 

しばらく時間が経過すると、問題は被災者が抱える問題よりも「原発」の問題がクローズアップされるようになる。

 

国会前ではデモが何度も繰り返され、文化人たちはそれぞれの考えをメディアを通して発信するようになる。

 

さらに時間が経過すると、私たちは徐々に日常を取り戻していく。

その時間は加速してゆき、一見元の暮らしに戻ったかのように見えた。

 

 

ただし、考え方だけは大きく変わっていた。

 

 

わたしは自分の無力さを目の当たりにしてから、そもそもの自分の役割について考えるようになった。

 

 

わたしは歌を歌う。

その歌で何をしたいのか?という問題に突き当たる。

この失敗だらけの人生の先に、一体何がしたいのか?という問題に。

 

わたしは歌で誰かのココロに寄り添うことができれば本望だということに行き着く。

ではその歌は何か?

 

それはラブソングだった。

 

何かを批判したり、自分の評価を求めることなどではなく、誰かに寄り添い、希望のヒカリを絶やすことをしない「愛」のようなものを発信するラブソングだった。

 

それしか歌う気がしない。

 

それで少しでも役に立つことがあるのなら、残された人生はそれに時間を費やしたいと考えるようになった。

 

 

 

問題は足元にいっぱいある。

悲しみや苦しみも足元にいっぱいある。

本当の喜びや幸せも足元にいっぱいある。

 

私たちは大きなものを求め、大きなものを信じ、大きなものに向かうことを成長だと信じてきたのかもしれない。

 

だが、それは間違いだった。

 

小さなものの積み重ねが大きなものならば、小さなものに血が通っていなかったり、しっかりとした骨組みがなければ、それはただ単に見た目が大きいということだけでハリボテでしかないことを知る。

それは決して豊かな世界には繋がらないのだと確信したのだ。

 

それだけではない。

 

小さなものの中に、無限に広がる宇宙があるのだということもこの経験を通して知ることになる。

 

小さなものこそ宇宙なのだと。

 

小さなものこそ巨大で無限なのだと。

 

わたしの場合はそう考えるようになった。

 

 

自分の愚かさや、未熟さ、弱さや汚さはぬぐいようの無い事実として痛いほど自分ではわかっているつもりだが相変わらずわたしは失敗を繰り返している。

 

偉そうなことなど何も言えないのだ。

 

それを承知でわたしは思う。

 

わたしはラブソングを歌いたい。

 

ラブソングを一緒に奏でることのできる人がいるならば、一緒にその世界を描きたい。

 

一人より二人でその思いを発光させたい。

 

 

そんな思いが実を結んだ1日があった。

 

 

それが5月26日に迎えた農村舞台公演だった。

 

 

村のおじいちゃんおばあちゃん、役場の人たちに支えられ成立したこのお祭りには

笑い声が絶えず、喜びの涙が流れ、愛と希望が溢れかえっていた。

 

そこに結実するには長い時間が必要だった。

色々な小さな要素が重なり合って、色々な考えや色々な気持ちが織り重なって、化学反応を起こして、ミックスした末の姿だった。

 

Kaolyさん率いる和太鼓チームのGOCOO、そしてオーボエ奏者のtomocaさん、ギタリストの阿部さん、写真家のブンさん、越路3姉妹、舞台を装飾してくれた華道家の平間磨理夫さん、人形浄瑠璃の清流座の皆さん、音響の川原さん、絵描きの蘭子、地元の方々、集まってくれたお客さん、その全てが宇宙と自然と神様と手を繋いでいた気がした。

 

 

わたしは確かな手応えを感じた。

 

これで良かったのだという感触を身体中で感じた。

 

それは小さな空間で起きた出来事だった。

 

そしてそれは、無限の可能性を感じる出来事でもあった。

 

 

わたしはこのお祭りを通してこの場にいたすべての人々と、わたしの人生の中に登場してくれた全ての人、仲間に心からお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいだ。

 

わたしの中にある「悪」を少しでも「善」に変えることでこの世界から少しでも「悪」が減るのならば、わたしはそれについてその都度立ち止まって考えたい。

 

わたしの中にあるちっぽけな「愛」が少しでも誰かに寄り添うことができるのであればわたしは惜しむことなく全力で歌いたい。

 

 

無力で無知なわたしごときが生かされているのだから。

 

 

 

                          深謝 越路よう子

 

 

 

 

 

追伸

ありがとう越路姉妹。あんたたちがいなけりゃあたしゃ何にもできない。

f:id:koshijiyoko:20190530220544j:plain

農村舞台2

f:id:koshijiyoko:20190530220306j:plain

農村舞台